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松ぼっくりで秋です、とかね。


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 71 時間経過

「姿三四郎」のゲタ、ほどに詩的でなく「ノッティングヒルの恋人」の大通り、ほどファンタジーでなくとも、時間経過を文字でなく映像で表現しようよ、ということはまあ多くの映像作家が考えることではある。

「秋」と言わず(出さず)紅葉の絵からまず入る、などというのはそのプリミティブな例だ。問題はそれを記号としてでなく扱えているかどうかで、特段のアイデアもなく「普通、そういうものだから」と撮っていればそれは俗に「説明カット」と呼ばれる陳腐なものになる。

 以前ハレーションについて触れた時に書いた「今年一番の暑さ」のニュース映像で流れる「ローアングルから捉えた汗を拭くサラリーマンと、画面いっぱいのハレーション」などはその記号化の典型だ。

「ノッティングヒルの恋人」(1999年制作)のそれを私が「姿三四郎」(1943年)の後継者であると紹介したのはそこのところだ、ここにはアイデアと情熱が感じられる、何ということもなく見えるシーンながらそこに込められた発想の斬新さと、裏で費やされた(であろう)努力を画面から汲み取れないようでは映画を見たかいがないというものだ。

 さて今までは四季の表現、一年程度の時間経過の話を書いていたわけだが、もっと長時間、たとえば百年とか千年、だった場合のそんな映像表現ってあったっけ?
 という話を次回にしたいと思う。


2003年03月19日掲載

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