写真
---> 拡大表示

「映り込み素材撮影玉」
(実景の中につやのあるCGを合成する場合、その表面に映り込む周囲の景色を取り込むための仕掛け−筆者作製)を筆者写す
増上寺にて


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 130 Viewpoint <2> God eyes

 映画における視点、カメラというものは不思議なものだ。
 いったい誰がそれを見ているの? と思ったことはないだろうか。

 絶海の孤島に取り残された主人公のそばにも、孤独なスナイパーの後ろにも、遥か高みを目指して絶壁に取り付く登山家の「上」にも視点は存在する。

 それを文字通り「誰か」の視線であると仮定するとまずいことになる。
 その視点の裏には意思が存在することになるからだ。
 なぜその「誰か」はそれを見ているのか? なぜそこで見ているのか? あっちでもこっちでもないその場所でそれを見ているのはなぜか? と推し進めていけば視点そのものに「意味」が生じてしまう。

 しかし、多くの場合映画の視点に意味はないのだ。視点はその世界に開いた窓であって窓はその世界と無関係に開いている。

 前回の話につなげて考えると、舞台においては観客が芝居をみているという行為が芝居の内容に影響を与えていないのと同様だ。
(前衛的なあるいはメタ演劇的手法による演出では、あるいは観客が見ている行為そのものさえ芝居の一部であるという方向性もありうるかもしれないが)

 何の意思も意味もなく世界をのぞきこむ窓、これを映画屋は「神の視点」と呼ぶ。


2004年06月09日掲載

<--Back     Next-->



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部