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* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 131 Viewpoint <3> 眩暈

 「神の視点」とは映画という表現形式が持つ(持たざるを得ない?)ある意味公平な、語り手としての視点だ。
 小説で言えば地の文みたいなものだろうか、三人称と言い換えてもいいかもしれない。

 これにたいして一人称の視点というものもある、それが「主観映像」だ。

 映画はこの2つを随時、自由闊達に使い分けている。
 2人の人物が会話しているとき2人を同時に捉えているカメラは神の視点だ。
 次の瞬間カットは変わり、片方の人物がいた位置にカメラは移動し、もう片方の人物を正面から捉える。
 これはその位置にいた人物の主観映像だ、映画屋はこれをだれそれの「見た目」と呼ぶ。

 相手の視線がレンズに向けられているのは言うまでもない、それはこちらの人物の目であるからだ。

 この「見た目」は主観であるがゆえに公平である必要はない、また本人の精神状態や、体の調子までも映像に反映させることができる。
 たとえば意識朦朧としている、という表現でフォーカスがあったりぼやけたり、というのはよくある表現だろう。

 視点を誘導できる、時に主観にまでもっていくことが出来る。映画にあって演劇にないもの、その中でもこれほど特徴的なものは他にない。

つづく


2004年06月16日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部