* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number


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携帯カメラ
ユビキタスな視点









Roll 133 Viewpoint <5> Sound-Studio

 1組の男女が机を挟んで会話している、カメラはそれを横から捉えている、次にカメラは男の「見た目」になり、女の「見た目」になってそれぞれの顔を捉える ごく自然な映画の1シーン、しかしこれを撮るのは大変だ。

 まず横から2人を捉えた客観映像から撮り始める、次にカット割りにしたがってカメラが男の位置に移動するか、と言うとそうではない。

 なぜならそのためには男の後ろの壁をはずし、カメラの入るスペースを確保しなければならないからだ。その位置にカメラが来ると女の後ろの壁が足りなくなり、すこし付け足す必要が出てくるかもしれない。

 照明も横から見て最適であるように調整されているので、カメラ位置が変われば修正が入る。照明技師によってはいったん全部バラして当て直しだ。
 そのカットが終わって、女の位置にカメラが入るとなれば、またまた全面的にやり直しとなる。

 そんなことはやっていられない。

 最初に横位置から撮るべきカットを全部撮ってしまう(これを「抜いて撮る」と言う)  次に男の視点からのカットを全部撮り、女の視点を撮る。

 舞台であれば役者どうし会話している相手は常に目の前にいる。その場のノリで芝居が変わっても問題はない、しかし抜いて撮る映画の場合は演技にブレがあるとつながった時に違和感を生じるだろう。役者にはどの芝居をどこから再現しようと常に同じ演技をする正確さが求められるわけだ。

 またスクリプターの腕の見せ所でもある。2人が物を食べていて、ロウソクでもともっていた日には彼女は緊張を強いられるだろう。
 あのセリフの時にパンがどこまで無くなっていて、この芝居の時にロウソクがどこまで短くなっていたか、記憶しておかねば映画はつながらない。

 視点移動、とひとことで言う裏側には多大の労力が費やされている。

 ・・・ところで時に「抜いて撮る」ことをしない(できない?)監督がいる、つねにカット割りどおりにカメラが移動していくのだ。
 こういう監督はスタッフに、特にいちいちセットの飾り換えを強いられる装飾部や、照明部に悪魔のように嫌われている(こともある)

つづく


2004年07月07日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部