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* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 135 Viewpoint <7> Video-Studio

 まず横から2人を捉えた客観映像から撮り始める、次にカット割りにしたがってカメラが男の位置に移動するか、と言うとそうではない・・と前々回に書いた。

 カメラが移動するとセットを組んだりバラシたり、照明を変えたり戻したりと膨大な作業が発生するからだ。
「抜いて撮る」(あるカメラアングルからのカットを抜き出して先に撮ってしまう)方式でも、何度か飾り変えが発生するわけで時間がかかることにはかわりない。5分のシーンが5分で撮り終わることはない・・映画の場合は。

 映画じゃなければどうなるのか? と言うとたとえばTV局で作られるドラマは5分のシーンは5分で撮られる(正確に言うと局はビデオカメラを使うため「撮影」と言わず「収録」という、言葉で言う「とる」も実は「撮る」ではなく「録る」だろう)

 数台のカメラを使い、1つのシーンを俳優が通しで演じて一気に収録しまうのだ。

 舞台を記録するようなものだ、この方式は時間のしばりがきつい局のスタジオでは有効だ。
 一つのカメラが移動し、セッティングがどんどん変わっていく映画はやってみないと時間がどれだけかかるかわからないからだ。

 しかし、その分の制約というものはもちろんある。あたりまえだが舞台と同じく、ある一方向(手前の壁?)は絶対画面に入ってこない。カメラ同士が映りこまない位置にしかカメラアングルが確保できない。そして照明をそれぞれのカットのために調整できないということだ。
 総じていえばカメラアングルも照明も100%を追求できない妥協の産物とならざるを得ない。

 それゆえ映画屋は局制作のドラマを格下とみなして軽んじている。向こうは向こうで我々をカビの生えた芸術至上主義者と見なしているのかもしれないけれど。


2004年07月21日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部