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* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 137 Viewpoint <9> ANGLE

「映画の視点に意味はない。視点はその世界に開いた窓であって窓はその世界と無関係に開いている」と以前に書いた。
 それは映画という表現自体が持つ型枠であって「制作者が観客に見せている」という事にまでさかのぼって意味を求めるべきものではないのが普通だ。

 普通? では「普通」でなければどうなのだろうか?

 そう、どこにもチャレンジャーやアイデアマンは居るものだ、ここで神の視点までも手玉に取った作品を3つ紹介してみたい。

 一つ目は「ガス人間第一号」(1960年/東宝)
 主人公の青年はマッドサイエンティストによる人体実験のモルモットにされる。人体を強化するはずの実験はしかし失敗、彼は体を気化させたり実体化させたりすることの出来るガス人間になってしまった、という話だ。

 もともと善良な人間であった主人公だが、どこへでも入り込め、拘束することも殺されることもなくなった自分の能力を愛する人のために使うことを決意し、結果犯罪者となって行く。
 単なるホラー&サスペンスにとどまらず、人でないものになってしまった男の絶望と苦悩を描いたこの映画はヒロインである若き八千草薫の人間離れした(失礼)美貌とあいまって異色の傑作なのだ。

 さてこの映画の中で刮目して見るべきは、主人公が自分の人生を狂わせた人体実験を回想してみるシーンである、この回想シーン中、マッドサイエンティストの実験室のカットはすべて「画面が傾いている」のである。

 わずかながら、しかし何かの間違いではないほどにはっきりと、画面は左下がりのまま続く。
 カメラがどっちを向いても傾きは変わらないのでそれはセットが(部屋が)傾いているのではなく「客観視点が傾いている」のだ、これは衝撃的だ。

 神の視点とも言われる客観視点、それをも狂わせてしまったこの傾きは心の平衡を失ってしまっているマッドサイエンティストの精神状態を表しているとも、この時の事を平常心をもって回想できない主人公の心の歪みを示しているとも言える。

 世の多くの(ほとんど全ての)映画がまっとうに撮っているからこそ出来るこれは大技と言えるだろう。

以下次週。


2004年08月04日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部