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ビデオに映ったものは何もかもが新しく
フィルムに焼き付いたものはなぜか遠い過去の事のような気がする


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 138 Viewpoint <10> Personality

 数年前に話題騒然となった「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」(1998年/米国)という映画を覚えておられるだろうか?

 3人の大学生が魔女伝説についてのドキュメンタリーフィルムを制作するべく、舞台となっている森に踏み込みそのまま行方不明となる。
 やがて彼らが撮影したフィルムだけが発見され、これはそれのフィルムを現像、編集したものだ、というふれこみの映画である。

 手持ち撮影ばかりの映像はどれも不安定で、ピンぼけもあり、ちゃんと編集されていない映像は時に冗長である。
 話はダラダラと始まり、ダラダラと続いていく。まともに一本の映画として見れば不出来もいいところだが、この映画にはそもそも一発芸に近いネタがあり、傑作・・・はともかく、大ヒット・・・もどうだかわからないけど、話題騒然となるだけの仕掛けはしてあるのだ。

 それは「客観視点のカットがただのひとつもない」という事だ。

 客観視点の映像は公平で冷静で、思い入れも、ましてやウソなどはまじっていない映像である、見ている方は安心していられるものと言えよう。
 比べて主観映像は見る者の心を騒がせる、それはどうしてもそれを見ている筈の人物に感情移入してしまうからだ。

 これはその行く末の悲劇(死亡、それも殺人の犠牲者となる?)が容易に想像される人物が生前に残した、不安と恐怖のドキュメンタリーであると言われれば、それが見る者の心を騒がせぬわけはない。ましてや気を抜くべき客観映像は1カットたりとも無いのだ。

 映画創設以来連綿と築きあげられてきた手法、客観と主観のコラボレーション、その長い伝統を逆手にとったアイデアを思いついた瞬間にこの映画はまさしく伝説の映画となる資格を得たのである。

 もっとも、権利関係でカットするわけにはいかなかったのかもしれないが、タイトルロールに出る「多くのスタッフ」はどうかと思う。




2004年08月11日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部