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操演部操演中、オープンでの撮影に高所作業車はかかせません
(バケットには誰も乗っていません、アームの操作は下で出来るし、吊りの場合滑車を固定してしまえば上で何か操作する必要はないからです)


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 187 華麗にいこうぜ その3

 フランソワ・トリュフォーが「華氏451」*を撮りながら書いた日記**がある、まさしくリアル版「アメリカの夜」***(トリュフォーが監督し、自ら主役の監督役として出演している制作現場における監督の苦悩を描いた映画)である。

 その中で撮影終了後編集に入ったものの何か映画が思うようになっていないことに悩んだトリュフォーが友人の編集マンに映画を観てもらった時のことが書かれている。

 その「明晰でいっさいのあいまいさをゆるさない」友人は、即座に2つのシーンの順番の入れ替えと2ヶ所50秒のカットを提案し、その通りに映写してみたところ映画は「前と比較にならないほど面白くなった」という。

 パリからイギリスまで、忙しいスケジュールを縫って飛んできて、鮮やかな解決策を提示したかと思うと、翌日にはパリに舞い戻って行ったその友人をトリュフォーはまるで、ハリウッドのスタントチームのようだと評している。つまり彼らスタントチームがはるばるとチネチッタ(イタリアの国立映画撮影所)までやってきて吹き替え撮影をこなし、その日の夜のうちに身支度を整えハリウッドに帰っていくように「ごく自然に、さっそうと」と。

 これを読んだとき、そのシーン(そのカット)のためだけに呼ばれて苦もなくその仕事をこなし、サッと帰っていく映画屋は誰の目にも(フランス人監督の目にも)カッコいいものの代名詞と映っているんだと理解した。

 操演屋もそうあらねばならない。(つづく)


※編集部注:
*「華氏451」(1966年/イギリス)
**「ある映画の物語」(著:フランソワ・トリュフォー/ 翻訳:山田 宏一/ 草思社 )
***「映画に愛をこめて アメリカの夜」(1973年/フランス・イタリア)


2005年08月24日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部