* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number


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遠くにあるカメラのために巨大カチンコ(鳴らしませんが)を掲げる助監督








Roll 200 Remake 3 −ますます映画化−

 「ついに映画化」と銘うっておきながら、オリジナルとまったく違うテイストの作品、その嚆矢にして代表作、それが「バットマン」である・・・ と先週述べた。
 ともかく、明るく正しいというヒーロー像を一新、悩めるヒーローにしてしまったのだから画期的である。
 ・・・ところで、悩めるヒーローと言えば今や「スパイダーマン」だが、あれは原作どおりである。自分の進むべき道を見いだせない主人公ピーター・パーカーに当時ベトナム戦争で悩み傷ついていた若者が共感して大ヒットしたのだ。

 閑話休題、おかげでティム・バートン版「バットマン」はアクション映画ながらに人の狂気と苦悩を描いた深みのある映画となった。ヒットもしたのだが、どうなんだろう? と私は思うのだ。
 人の持つ狂気と苦悩を描くのはけっこうなのだが、それをバットマンでやる必要があるのか? そのもっとも遠いところに居るヒーローをわざわざもってきて、かつてのファンの期待を裏切ってまでやる必要があるのだろうか、ということだ。

 実はこの映画は出来が良いだけに批判しにくいのだが、問題なのは、なるほどそういう手があったか、と多くの(日本の)映画人に気づかせてしまったことだ。

 つまり自分の作りたい映画がある、でもスポンサーが付かない、かつてのヒット作を「ついに映画化」とブチあげる、ゴーサインが出たところで設定だけいただいてオリジナルとはまるで違う(自分流の)映画を作る、という流れだ。

 これが最近目に余る。ティム・バートンはすくなくとも「バットマン」が好きだったと思われる、原作への敬意もうかがえる。
 ところが、原作をまるで理解しておらず、敬意も払っていない作品が多く公開されるようになってきた。

 この映画は原作とは無関係です、などと公言する監督まで現れた。
 実にけしからん! と実は私はここで特定の作品を念頭に置いて言っていたりする(がさすがにここで名前をあげるわけにはいかない)

 ともあれ「ついに映画化」を目論んでいる多くの映画人に私は言いたい。
 多くのファンの愛したその原作はあんたの踏み台じゃないのだ、と。


2005年11月30日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部