写真
---> 拡大表示

「赤いガス」の効果として赤い粉(顔料)を吹いてみたところ、とても赤く見えて良かったんだけど(地面を見よ!)
周囲がエライことになるからセットでもロケでも使っちゃダメ、ということになりました。
 そこで赤いチョークの粉を吹いてみてます、赤く見えません(ホースを握るのは操演部サードK君)


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 236 マッドマックス −その6 悪魔の証明−

 さて映画「マッドマックス」にはショットガンの銃身を切っているカットが有るのかないのか?


 何かが「有る」ことを証明するのは簡単で、持ってきて見せればよい。
 しかし何かが「無い」ことを証明するのは難しい。それは「悪魔の証明」(probatio diabolica)とも呼ばれ、激しく困難または不可能なこととされている。

 例をあげれば「日本に野生のダチョウが居るか」という命題のようなものだ。
 「居る」という主張はダチョウを捕まえてみせることで証明できる。
 しかし「居ない」証明は難しい。たとえ日本全国を歩き回ってみても(そして見つからなかったとしても)それは「野生のダチョウが居ない」証明にはならない。

 だからもしここで。
 居ない証明は不可能 >居る可能性は否定できない >居る可能性がある >居ると言っても間違いではない。
 という理屈が通るならばダチョウに限らずどのような根拠のない主張でも「間違いではない」ことになってしまう。

 そのため通常は「有る」か「無い」かで議論になった場合は「有る」とする側が証拠を出す責任があり、その証明がなされるまでは「無い」として扱うべきものとされている。

 さて今回の場合だ。
 先に映画にはさまざまなバージョンがあると述べた。あらためて「ディレクターズカット版」とか「特別版」とか宣言されていなくても、公開時期、発表メディアによってこまかな修正が加えれているのが普通だ。

 「マッドマックスにショットガンの銃身を切っているカットが有るのか無いのか」という問題は「ショットガンの銃身を切っているカットの存在するバージョンが有るのか無いのか」という議論に他ならない。
 だから「無い」を主張するI君にとってそれは「悪魔の証明」を要求されているのと同じであり、O君が「有る」証拠を持ってくるべきなのだ。

 しかしこの議論は2人の間で数年前から続いている。それはとりもなおさず「有る」証拠が出てこないということだ、ならばこれは「無い」ということで決まりなのだろうか?

 これがなかなかそうはなっていかない、という話を次回に。




「マッドマックス」(製作:1979年/オーストラリア)


2006年08月30日掲載

<--Back     Next-->



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部