* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number


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特撮で雨のシーンがあります。そこで「ミニチュアの雨」の予備テストを駐車場でやっています(セット内でやると水びたしになるから)。


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予備テスト終了後、ライティングのテストをセット内でやっています。




Roll 244 撮影機材と撮影効果 <メリエスの時代 その4>

 前回7人のメリエスが出てくる多重露光の話をした。

 フィルムを巻き戻し、7回のお芝居を一本のフィルムにおさめるこの技法は1回でもミスがあれば全部やり直しというプレッシャーのきつい撮影である。

 現代ではもはやそんな一発勝負、のるかそるかの合成などしない・・・と言いたいところだがそうでもない。
 カメラの中ですべてが終わってしまうこういった合成を「生合成」というのだが、これはごく最近まで生きていたし、ことによるとこれからも生き延びるかもしれない技法なのだ。

 生合成が生き延びてきた理由には大きくわけて2つある、一つは「ご予算少々」だ。

 「合成」をするにはお金がかかる。普通は合成したい絵を別々に撮って「後処理」に回す。
 後処理の必要なカットが「現像して終わり」なカットにくらべてお金がかかるのは言うまでもない。

 しかし「生合成」は違う、事はカメラの中ですべて済んでしまっているので「現像すれば終わり」なのだ。
 これが貧乏な作品のプロデューサーには魅力的に映るらしい。

 (実際問題として、別々に撮る場合より現場の時間は余分にかかる、しかも結果は現像するまでわからない。だからNGとなればロスは大きい。スタッフの労働強化だけならいいが(よくないが)撮影期間が延びる危険を冒すのは得策ではないと思う)

 もう一つの理由は「完成した画像のクオリティ」だ。

 少し前まで主流だった「光学合成」は一度撮ったフィルムに何かしらの処理を加えて別なカメラで撮影するという方法で行われる。
 コピーマシンでコピーを繰り返せば画像は荒くなるのと同様、映画でも合成カットは解像度が落ちるのだ。

 生合成にはそれがない。奇麗な映像が欲しければ可能なところは出来るだけ生合成したほうが結果はいいのだ。

 誰もが知っていそうな映画で例をあげれば「ブレードランナー」(1982年/米国)のファーストカット、近未来のロサンゼルス上空の夜景がそれだ。

 高層ビルが建ち並び、あちこちの尖塔からは時折炎が立ち昇る奇妙で美しいカットだが、今なら(というか当時ですら)あのミニチュアの街と炎は後処理で合成されるはずだ。
 なぜなら「炎は小さくならない」からだ。ミニチュアセットから実際に炎を吹き出してもスケール感がない(10センチの炎は誰が何を言わなくとも10センチくらいに見える)
 ミニチュアの縮尺に合った巨大な火炎に見せたいなら、それは「大きな炎」を別に撮ってあとで合成するしかない。

 しかし映像クオリティにこだわる特撮監督ダクラス・トランブル(特撮の神様)は「後処理」をよしとしなかった。

 まずはミニチュアの街を撮影しフィルムを巻き戻す。
 次に照明を落としてセットを真っ暗にする。
 そして炎を上げている塔の上に「白い紙」を立て、それをスクリーンに見立てて別撮りした炎を投影してもう一回撮影したのだ。

 見るものをたちまち引き込むあの印象的なカットは特撮映画の始祖、ジョルジュ・メリエスの多重露光と同じ技法で撮影されたのである。

続く


2006年10月25日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部