* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

前々回にひきつづきドライアイスマシン、お湯が冷えたので放出中

ドライアイスがいっぱい余ってます









Roll 265 <フィルムとコマの話 その18> カット

 「高画質な絵を撮る男」ダグラス・トランブルの話の続きだが、まず「カット」というものについて話したい。
 映画の最小単位である「カット」は映画の各局面を観客に説明する役割を担っている。

 なんのことかと言うと、たとえば絵画はそれを鑑賞することを目的として描かれているし、写真も報道写真などは別として何かを説明するためにあるものではない。

 一方、映画では飛行機が映し出されれば、それは登場人物は飛行機で移動していますという意味だろうし、ついで椰子の木が映ればそれは「南の島に来ました」という説明になる。

 映画におけるカットはストーリーと不可分なもので、言い方を変えればそれは細分化されたストーリーの一部、パーツなのである。それは単独で鑑賞するものではない。
 ・・・ない筈なのだが、時としてカットがそれ以上の意味を持つことがある、たとえば夕焼けは「時刻は夕方である」ことを説明するために挿入されるはずなのだが、そんな意味とは無関係に観客に感銘を与えることがある。

 自然現象に限ったことではなく、ローマの町を軽やかに走ってゆくオードリー・ヘップバーンの明るい笑顔は、ストーリー抜きにしても見る価値がありそれだけで見るものを幸せにする。

 制作者達の才能と努力とそして多くの幸運に恵まれた映画に希におこる出来事なのだが、あるカットがストーリーを説明するためのパーツでは無くなり、それ自体鑑賞に足る物になることがあるのだ。

 「希に」とは言ったが映画の歴史は長く「あの映画のあれ!」と長く人の記憶に残るカットは多い。

 しかし特撮映画の特殊効果カットにおいてはそういう名カットは多くない・・・ というかあまりない・・・ というかほとんどない。

 なぜか、と言えばそれは前々回にも少し触れたように、特撮が無理をして撮っているからであり、印象に残るカットなら当然持っている筈のクオリティがない(ことが多い)からだ。
 では具体的になにがクオリティを低下させているのだろうか・・・ という話を次回以降にする。


2007年04月04日掲載

<--Back     Next-->

→「今日もカメラは回る」の目次へ



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部