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仲よきことは美しき哉・・・ じゃなくて殺陣をつける殺陣師と監督です


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 266 <フィルムとコマの話 その19> 違和感

 映画制作の現場で「本編」と言えばそれは劇映画のことだ。そこにはTV番組じゃないもんね、というニュアンスがある。

 いっぽう特撮映画で「本編」班と言えばそれは役者が出ている部分の撮影隊を指し「特撮」班と役割を区別する。

 余談だが特撮班などのない普通の(?)映画において「本隊」と言えばそれは監督が居て主役がいる撮影の主力チームを指し、別働隊「別班」と区別する。別班は実景(じっけい:風景/情景)や小物(こもの:写真や手紙の文面、時計の針など役者抜きで撮れる簡単なもの)を撮る少人数のチームである。

 余談終了、さて特撮映画における本編と特撮という呼び名は作る側の都合であって見ている側にはなんの関係もない。しかし実際劇場で見てみるとこの2つが容易に判別できることはご承知のとおりである。

 何かを見ている人を映したあと、その人が見ているものを映すなど、180度向きの違うカットをつなげることを「切り返し」と言う。
 これはよく行われるカットつなぎで映画・TVで普通に使われている。しかし「本編」と「特撮」を切り返すと多くの場合観客に「?」という違和感を抱かせるのだ。

 それはライティングの問題(無限遠にある強力な単一光源「太陽」に照らされた本編ロケと複数のライトで照明する特撮セット)とか、色調(短波長の光が空気中のチリで乱反射した「青空」とホリゾントに描かれた青空の色調)とか、ミニチュアの出来とか、ただ単純に怪獣などというあり得ない物を見たときの違和感とか、たったひとつの原因によるわけでないことは確かだが「なんか違う」と思わせることが多い。

 そして問題なのがその「なんか違う」が「本編と違ってすごく奇麗」ということはまずないということだ。
 要するに「なんとなくダメっぽい」ということで、観客はなにがどう悪くなっているのかわからなくともそこにあきらかなクオリティの低下が存在することが伝わってしまうのだ。

 「なんとなくダメっぽい」カットに人の記憶に長く残る名カットというものが生まれにくいのは言うまでもないだろう。

 続く。


2007年04月11日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部