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打ち上げに有志からのケーキが届きました
(荷物用段ボールにそのまま入っているあたりが・・・)


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 267 <フィルムとコマの話 その20> 撮り切り

 特撮カットは「なんとなくダメっぽい」という話の続きだ。

 前回、ダメになりやすい例としてライティング、色調、ミニチュアの出来などを挙げた。しかしライティングが問題なら強力なライトを使えばよい、色調はきちんと調整すればよい、ミニチュアは大きく出来のよいものを作ればよい、しかし実はこれはそういうことでは解決できない問題かもしれない。

 その理由について述べるにはまず「合成」が特撮映画にとって必要不可欠である、と述べておかなくてはならないだろう。

 特撮映画に「合成処理」はつきものだ。合成と一口に言っても作画合成・切り合わせ・移動マスクなどその種類はさまざまにある。そして、ある程度以上凝った特撮映画においては合成の不必要なカットはめったに/ほとんど、ない。

 着ぐるみがミニチュアセットで暴れているカットなんて何もしなくていいんじゃないの? と人は思うかもしれないがなかなかそういうものではない。
 撮ったまま、なんの処理も必要なく使えるカットを「撮り切り」というのだが、特撮映画の打ち合わせで「これは撮りきり」と監督が宣言すると、スタッフから「おお!」と歓声があがるほどなのだ。

 合成処理が必要なカットというのは、画面要素が複数あることが多く、1回カメラが回っただけではそのカットが終わらないことが多い。
 今の特撮映画は「よ〜いスタート」「カット! はいOK」「やった!」という直截な喜びのある撮影が減り「撮って撮っても残りカットが減っていかない」という精神的な疲れをスタッフにもたらしているのである。

 某円谷プロなどでは、立派な後処理であるにもかかわらずミニチュアのピアノ線消しなどを「合成」としてカウントしなかったりする。
 あるいは後処理が必要であるにせよスタジオで1回だけカメラが回れば撮影現場から手が離れるカットは「現場的に撮りきり」などと表現したりする。

 なぜといえば、それらをすべて同じ合成と呼んでしまうと撮影スケジュールが「全編これ合成」となってしまい「合成(←特に注意を払うべし)」という言葉に意味が無くなってしまうからだ。

 それほどに特撮は合成カットと不可分である、では合成の何がどう問題なのだろうか?


2007年04月18日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部