* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number


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Roll 270の回でテストしたエアキャノン、いよいよ出番です。その数6


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建物の中から外に向かってセメントを打ち出します。
窓外すぐに役者さんが(スタントマンですが)いるので火薬が使えないのです。





Roll 275 <フィルムとコマの話 その28> 特撮名カット

 前回までは、いかにして特撮カットの画質を向上させるか、という話だった。
 なぜ画質がそれほどに問題なのか、と言えばそれは本編(特撮でない部分)と比べて画面クオリティを低下させないためだ。

 なぜクオリティが低くてはいけないか、という質問に対しては、まずは「低くていいわけがない」という答えがあり、それ以上に「本編との差を作ってはいけない」という事がある。

 つまり「ここは本編」「ここから特撮」と観客に悟らせたので映画の感興をいちじるしく削いでしまうということだ。
 特撮映画がまず普通に映画であるためには、特撮カットの画質の低下を抑えるというのは最低限必要なことなのだ。ダグラス・トランブル「特撮の神様」と呼ばれた男はその最小限のことをまず行っていたにすぎない。

 これを逆に言えば、多くの特撮映画がいかに画質の低下に無頓着であったかという証左であるだろう。

 以前、人々の記憶に残る映画名カットは数多くある、しかし特撮映画においてはほとんどない、それは画質の低下が観客の印象を悪くしているせいかもしれないと書いた。

 そう思うに至ったのは、私が挙げることの出来る特撮名カットのほとんどがトランブルの手になるものだったからだ。

 これはトランブル教の欲目ではない。『2001年宇宙の旅』が公開された時私はまだ中学生だったし、『未知との遭遇』『スタートレック』を観た時私はまだ特撮に関わっていなかった。
 普通に監督の名前くらいしか注意を払っていなかったのだ。以降『ブレードランナー』あたりでスタッフの名に注目するようになり、特撮シーンの美しさで一頭地を抜いていたそれら映画のSFXマンが同一人物であると知って衝撃を受け、信者となったのだ。

 宇宙の深淵を行くディスカバリー号のしんとした美しさ。
 デビルスタワー上空で反転する、光り輝くマザーシップ。
 陰鬱で、悪夢のように人を惹きつけるロサンゼルスの夜景。

 それらは長い年月を経た今でも(そのカットだけを取り出してみても)人の琴線にふれるもののある映像である。


※<フィルムとコマの話>を最初から読みたい方は →こちら 


2007年06月20日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部