* 連載フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number


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◆フィルム缶(400フィート巻)
フィルム缶は密閉性が良く(当たり前)頑丈でシンプルな機能美を持っているので使用後もいろいろ便利に使われます。
某テーマパークではおみやげにフィルム缶入りのクッキーがあったような、まあそれらしく作った模造品だったけど。




※映画用フィルム ETERNA 500

Roll 317 <フィルムとコマの話 その70> ラッシュで勝負

 ビデオアシストは今世紀初頭には完全に普及していたと言えるだろう。それより前、“前ビデオアシスト期”(?)には特撮現場で「ラッシュで勝負」という言葉が飛び交っていた。

 ラッシュとは撮影したフィルムをそっくりポジフィルムに焼き付けた、編集も後処理もされていないプリントのことである。「ラッシュで勝負」とは撮影されたカットが『良いか悪いか』『バレもの(見えてはいけないもの)があったかなかったか』など要するに『使えるのか使えないのか』の判断を試写室でやろうという意味だ。

 しかし、「判断」とは言ってもダメだったら撮り直そうということでは(たいていの場合)ない。

 ハリウッドでは現像所はオールナイトで操業しているのでラッシュを翌日の朝一番で見ることが出来る。だからもしダメなら撮影再開して取り直すことが出来るのだが日本はそうではない。

 現像が翌日回しになるため、ラッシュが撮影所に届くのは早くても午後遅く、それまで前日のセッティングをバラさず、撮影を止めて待っているのでないかぎり「再開」することは出来ないのだ。
 時間が無いのが常態の撮影現場でそれはまず不可能だ。といって一旦バラしたカットを再セッティングして撮り直すというのはなお難しい。

 つまり「ラッシュで勝負」というのは「俺は今のでいけたと思う」という責任のある言葉だったということだ。

 とはいえ、誰かがその責任を負わなくてはそのカットが終わらない。それはまず監督が負うものだが、ファインダーを覗いているカメラマンにも責任はある。それが爆破・破壊など操演部主導なカットである場合には操演技師も判断を求められるだろう。

 それゆえ我々は集中して舞台を注視する。バレものがなかったか、破壊にスケール感が出ていたか、ハイスピードの倍数は適正だったかなど判断しなくてはならない材料は多い。

 この時、三者がそれぞれの立場で見ているというのは有効だ。というのも監督はそのカット全体の印象を捉えようとするし、カメラマンはバレものがないか注意しようとする傾向があり、操演技師は(というか私は)破片や炎が良い芝居(!)をしていたか、ハイスピードの倍数は適正だったかなどの細部に注目することが多いからだ。

 そして、

 ■監督「全体の雰囲気は良かったと思うけど、バレ物は無かった?」
 ●カメラマン「バレてはいなかったと思うよ」
 ■監督「操演的にはOK?」
 ◆私「ほどよい壊れ方したと思う」
 ■監督「よし、ラッシュで勝負だな」

 ということになる、しかし「ああは言ったけど、ホントに大丈夫か?」と三者三様に不安を抱えているのは間違いない。

 そういう意味ではビデオアシストは(前回述べたように特撮には不十分とはいえ)現場の手助けになっている。繰り返し見直すことが出来るため「まったくダメ」なカットをうっかりOKにしてしまう恐れはまず無くなったからだ。

 そのぶん現場の緊張感が薄れてつまらなくなった、と私は思っているのだが。


 「ラッシュで勝負」続く。


2008年12月03日掲載

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