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(C) MIka Ninagawa


* 週刊フォトエッセイ*

NinaMika Weekly 週刊ニナガワ通信

  文・写真/蜷川実花 --->Back Number × 中山慶太




§キューピッドとサイケの堕天使 #2§(jul.2003 #02)

 ナルキッソスはとても美しい若者だった。
 彼は彼を想い慕う女性に無関心で、森のなかで出逢った精霊とも心を通わせることができない。その精霊は相手の言葉をそのまま返すことしかできなかったからだ。
 エコーという名の精霊は悲しみのあまり洞窟に閉じこもり、声だけの存在になった。
 他人への思いやりを持たないナルキッソスは女神の怒りをかう。
「人を愛せぬ者よ。お前は自分だけを愛するがいい」
 ナルキッソスは、水面に映った自分の姿を観て恋におちる。 彼は自分の過ちに気付いたものの泉から離れることができずに死んでしまった。
 彼が死んだ泉には、美しい花が咲いた。こうしてナルキッソスは水仙に、その花は自己愛(Narcissus=ナルシス)の象徴となる。ギリシャ神話のなかのお話である。

 蜷川実花の写真に恋する女性は、もしかすると水鏡のなかに自分を観ているのかもしれない。そんなふうに考えていたらこのお話が浮かんだのだけど、なんだかしっくりこない。舞台設定はどろどろしているけど、ちっとも妖しくないからだ。だいいち水仙の花には色がない。
 他人に感心がないひとに写真は撮れない。すくなくともニナミカ印のあの絵はつくれない。彼女の写真はいつだって被写体に恋をしているからだ。それが人であれ、モノであれ。
 でもその恋心はレンズで跳ね返される。被写体もレンズの先には近寄れない。互いの距離を縮めようとすると、像がぼけて色が滲む。だから蜷川実花の写真は美しく哀しい。

 そういえばエコーという精霊が相手の声を返すことしかできなかったのも、ナルキッソスが花になったのも、女神に呪いをかけられたからだそうだ。けっして手を握れぬ呪われた運命だって?
 いや、写真家と被写体の関係は、たぶんそれが美しく正しいのだ。  

※蜷川実花さんの公式サイト
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2003年07月16日掲載

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